国内における赤煉瓦の製造は、安政4(1857)年長崎鎔鉄所建設にあたり、オランダ人技師ハルデスの指導により、地元の瓦屋が焼いたのが最初であるという。明治新政府は列強の脅威(植民地化)から国家を救うため、軍事力強化を推進しました。そのために鉄の生産が絶対的に必要となり、各地に製鉄所を建設し、軍艦や大砲を製造した。鉄道(橋梁・駅舎)、燈台、軍施設並びに政府の諸官街などの建設もそうでした。これらの建設資材には当時の帝国臨時建築局による欧米化政策により赤煉瓦が大量に使用されることとなり、製造工場が各地に建設されました(日本煉瓦製造、大阪窯業社、下野煉化製造など)。近代化(欧米化)をスローガンに急速な国力増強に燃えた時代に赤煉瓦は大いに貢献し、今も全国に残る赤煉瓦の建造物は、近代国家構築の象徴であり礎となった証であります(東京駅、富岡製糸場(世界遺産登録)、法務省旧本館、シャトーカミヤ、中之島公会堂、碓氷峠めがね橋、北海道庁旧本庁舎、横浜市開港記念館、長崎教会群…)。

 これら赤煉瓦建造物の保存・修復は、後世に歴史上の事実を伝達するために非常に有意義であり、大切なことだと思っております。当社は明治28(1895)年創業以来、一貫して煉瓦の製造・販売・施工を行っており、保存事業についても、あらゆる技術を駆使し、赤煉瓦の歴史を守るべく努力を続けております。

国指定重要文化財 旧下野煉化製造会社 煉瓦窯(ホフマン窯)2014年9月撮影